土産の帝王、八ツ橋
京都のおみやげの定番といえば、これ・・・
八橋ですよね。
八ツ橋で有名な「おたべ」や「井筒八ツ橋本舗」、「聖護院八ツ橋総本店」などがあります。 八ツ橋は京都発祥の和菓子で上新粉と砂糖、シナモンの粉を混ぜた生地を焼いた人気のものです。
八ツ橋の歴史 八ツ橋の名前の由来はいくつかありますが、有力な説は二つあります。
一つは伊勢物語に登場する三河の国の八橋という橋を真似て作ったからという説と、江戸時代初期に活躍した筝曲の作曲家、八橋検校という人が作った堅焼きせんべいからだという説です。
この人物がとある茶店の店主にせんべいの作り方を伝授し、八橋検校なきあとに、教わったせんべいをもとに琴に似せた菓子を作り、それが八ツ橋になったといわれているのです。
最初はこの堅焼きせんべいだけでしたが、聖護院八ツ橋が表千家の茶会で出した生八ツ橋が好評で商品として売り出されたということです。
八橋の由来
八ツ橋名起源説その1。
三河国で、川に八つの橋をかけた伝承からきているというもの。
三河の八橋(知立市)が杜若の名所なので、八ツ橋の包装紙にカキツバタの絵がのるようになった、という説。
八ツ橋名起源説その2。
琴の名手の八橋倹校(やつはしけんぎょう)という人がなくなった後、彼にちなんで、琴の形に似た煎餅が販売され、八ツ橋という名前になったという説。
八ツ橋業者は十数軒。
いずれも本当のような話で興味深いですよね。
今日では、「井筒八ツ橋」「本家西尾八ツ橋」「聖護院八ツ橋本舗」など、八ツ橋を製造する老舗は十数軒あります。
中でも「本家八ツ橋西尾」が元禄創業の、八ツ橋発祥の店として、人気をほこっています。
そして最後に・・・
八ツ橋名前起源説その3。
八ツ橋の発明者が、元禄2年に、三河国八ツ橋寺のお坊さんに、八ツ橋の作り方を習い、聖護院で売るようになったので、「聖護院八ツ橋」という名前なのだ、という説です。
八ツ橋、江戸時代後期に京都聖護院村の菓子屋で売られるようになったといいます。
このように、名前の由来には、3つの説があり、興味深い逸話が残っているようです。
1945年、大正天皇の即位の祝賀の行事が京都で行われましたが、その時、京都駅では、大勢の民衆が京都土産を買い求めました。
その時、売れたのは、この「八ツ橋」と「五色豆(ごしきまめ)」です。
以来、京都の土産といえば、「八ツ橋」と「五色豆」、というように、全国的に有名な菓子として、広く知られるようになったといいます。
八ツ橋にかかせないニッキってどういうもの!?
八ツ橋についての考え方は種々あるようで、今やいろんな八ツ橋が店頭に並んでいるようですが、八ツ橋の定義としては、『原料に米のみを使い、ニッキの風味づけをしたもの』と考えております。
もちろん、当社の商品は、すべてこの二つにこだわり続けることから始まっております。
ニッキとは、桂皮(けいひ)のことです。
桂皮は、ベトナムを原産とするクスノキ科の常緑高木「肉桂(にっけい)」の樹皮(桂皮)を乾燥したもの。
桂皮アルデヒトを主成分とした揮発油による特有の芳香と、甘味と辛烈味があります。
粉末、水溶液、アルコールエキスなどにして、主に菓子の香料、また薬品として健胃剤や生薬に使います。
細根をそのまま切って束ね、「ニッキ」と称して子供の菓子としていたことから、すっかり「ニッキ」の名でお馴染みになりました。
日本では八世紀に、正倉院御物の中に、漢方として「桂心(=桂皮)」が登場しています。
また、十二世紀前半の成立とされる「今昔物語集」に、次の説話が伝えられています。
『平安時代、五條西洞院桂ノ宮ノ前に大きな桂木(肉桂・木犀・月桂樹など良い
香りのする木の総称)があり、人々はその地を、桂宮と呼んでいた。
その頃、
震旦(中国の古称)より、長秀という 僧が渡来し、その大きな桂木の枝を切ら
せたところ、唐の桂木よりも良いものだと言われた。
これら諸説の一部をみると、どうやら日本人は古くから肉桂と関わっていたようです。
ところがです、実際に日本で肉桂が栽培されるようになったのは、享保年間(1716 ̄36)に中国から輸入されてからのこと。
西日本の暖地に植えられましたが、種子繁殖を行った場合、桂皮を収穫するまでに三十年以上要するため、国内生産高では採算が合わず、国内取り扱い品のほとんどを輸入品に頼っています。
輸入品については、中国産・ベトナム産が大半を占めています。
八つ橋のお店
八つ橋のお店にもご存知のように老舗があります。
聖護院八ツ橋総本店です。
屋号を「玄鶴堂」といい、聖護院は地名からきています。
この地名も聖護院門跡の通称からきているものです。
八橋検校の弟子らが黒谷参道の聖護院の森の茶店で干菓子を八ツ橋と名づけて売り出し、これが八ツ橋のはじまりとされ、その場所こそ現在の本店のある場所なのです。
このほかにも「おたべ」や「八ツ橋庵」などと八ツ橋を作っている会社は京都には数多くあり、その店舗それぞれの特徴を出しています。
今では生八ツ橋の中を餡ではなく、季節物で栗の餡を入れるなど工夫をこらした商品が数多くあります
井筒八ツ橋本舗です。
井筒八ツ橋本舗の創業は1805年の文化2年、米や味噌、しょうゆ、菓子などを扱う店として生まれました。
昭和22年に5代目によりつぶあん入りの生八ツ橋「夕霧」を作り、昭和32年にがこの生八ツ橋「夕霧」で名誉大賞牌を受賞しました。
今ある有名な「夕子」は昭和49年に発表されたものです。
京極の一番街の中には観光客が堅焼き八ツ橋を作る体験ができるコーナーを開設するなどして井筒八ツ橋での堅焼き技術者の育成と継承に役立てています。
すばらしい老舗として、その暖簾を守っています。
硬い板状の八ツ橋が本来の八ツ橋
現在、京都土産では八ツ橋が人気ですが、柔らかい生の皮の八ツ橋ではなく、硬い板状の八ツ橋が本来の八ツ橋です。
米粉と砂糖にニッキと芥子の粉を加えたものを板状にのばし、両面に黄な粉を付けて焼いたものを「八ツ橋」といいます。
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